神田沙也加さんが急逝されてから早くも1年が経ちますね。偉大な両親のもとに生まれながらもその七光りに頼ることなく、自らの努力で道を切り拓き栄光を手にされていたという印象があります。
活動を休止された期間もありますが、その20年間の軌跡を振り返ってみます。
神田沙也加 プロフィール

生年月日: 1986年10月1日(2021年12月18日35歳没)
出身地: 東京都千代田区
配偶者: 村田充(2017年-2019年)
両親: 神田正輝 松田聖子
活動期間: 2001年-2021年
デビュー作は短編映画
1999年8月、ロサンゼルスの日本人学校に通っていた頃、両親のことは明かさずにオーディションを受け、短編映画『ビーン・ケーキ(おはぎ)』にヒロインの小学生役で出演。

同映画は2001年に第54回カンヌ国際映画祭で短編パルムドール(短編映画の最高賞)を受賞。
母の曲を作詞!
映画出演から4ヶ月後、ALICEのペンネームで「恋はいつでも95点」を初めて作詞。
この事実は沙也加さんの歌手デビュー後に公表されます。

この時、沙也加さん13歳頃です・・・すごい才能ですよね!
2001年CM初出演
2001年5月、江碕グリコ「アイスの実」のCMでの初々しい姿と聖子さんによく似た歌声は鮮明に記憶に残っています。
2002年歌手デビュー
2002年5月、自ら作詞した楽曲『ever since』で歌手デビュー。お母さんによく似た透明感のある歌声で、オリコン5位までいきました!
愛娘の歌唱を見守る母、聖子さんの姿も印象的です。
2003年映画、ドラマ出演

2003年9月、映画『ドラゴンヘッド』(主演:妻夫木聡)でヒロイン役を演じ、本格的に女優デビュー。
またTBSテレビドラマ『ヤンキー母校に帰る』では生徒役で出演も。

2004年舞台「INTO THE WOODS」
宮本亜門演出のミュージカル『INTO THE WOODS』では赤ずきん役を演じています。

沙也加さんは当初、舞台経験のない自分が選ばれたのは親が有名人だからかと懐疑的に考え、宮本亜門さんに問い詰めたのだとか。
しかし「ちゃんとあなたを見て選んだ」という言葉に救われて舞台の仕事を中心に活動する今があると、のちのインタビューで明かしています。
2006年~多彩に活躍

高校卒業後、ゆっくりと時間をとっていろいろなことを勉強し、将来のことを考えたいという本人の遺志により1年半の芸能活動休止期間がありました。
アルバイトの経験もされたようです(懐石料理店の仲居とダイニングバーのウエイトレス)
その後2006年4月、上原純のペンネームで母・松田聖子さんのシングル曲「bless you」と『WE ARE.』(PawPaw名義)で作詞、作曲を行います。
2006年12月には「神田沙也加」として活動再開。大地真央主演の舞台『紫式部ものがたり』で芸能界復帰。

テレビドラマ『たった1度の雪~SAPPORO・1972年』に出演。(2007年2月25日・北海道放送製作・TBS系全国放送)


2011年デビュー10周年
デビュー10周年を記念して約6年ぶりとなるアルバム『LIBERTY』をリリース。

同年12月31日、第62回NHK紅白歌合戦に初出場、母とのデュエットで「上を向いて歩こう」を披露。

2012年声優デビュー


2012年7月、テレビアニメ『貧乏神が!』(テレビ東京ほか)の艶光路撫子役で声優デビュー。
1年以上前から女優業と並行して声優の専門学校に通っていたといいます。
バンドも結成!
2012年11月4日、バンド「Silent Lily」としてシングル「少女シンドローム」を発売。


2014年「アナと雪の女王」

2014年3月14日、日本で公開されたディズニー製作のミュージカル・アニメーション映画『アナと雪の女王』で王女・アナ役の日本語吹き替えを好演、大ヒットに貢献。
歌唱・声・演技・あらゆる面で評価され、一躍注目を浴びました。
遺作「マイ・フェア・レディ」


朝夏まなととのダブル主演ミュージカル『マイ・フェア・レディ』。公演中の突然の訃報には誰もが驚きましたよね。
残念ながらこの作品が遺作となってしまいました。
さいごに
こんなにも才能にあふれ輝いていた女性、神田沙也加さん。
かんたんではありますが活動の軌跡としてまとめさせてもらいました。

先日、スピッツの草野マサムネさんが「忘れてはいけないシンガー」として自身のラジオ番組で沙也加さんの楽曲『La La Sunday』を流していました。
同じ時代を生きた者として彼女の歌声、演技、笑顔を決して忘れることはないでしょう・・・神田沙也加さん、どうぞ安らかに。
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