北朝鮮から命からがら脱北してきたというキム・ヨセフさんがテレビ出演されていて気になりました。
1度は失敗したものの脱北を強く決意し、2度目に成功!数か国を経て日本にやってきたキムさんの半生を知りたくなって調べてみました。
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キム・ヨセフ
1985年、朝鮮民主主義共和国の北東部・咸鏡南道生まれ。
10歳のときに弟と路上生活を始め、18歳で一度目の脱北を試みるも失敗し、白頭山のふもとにある留置場に送られる。
23歳で二度目の脱北をし、中国、ベトナム、カンボジアを経て24歳で日本に語学留学し、大学を卒業。
現在は会社員のかたわら、YouTubuチャンネル「脱北者が語る北朝鮮」で北朝鮮情報を発信中。
10歳の頃に母と姉を餓死で亡くしたキムさん。
食べ物を求めて親戚の家を転々としていた父とも離別し(後に中国に出稼ぎに行ったことが判明)、弟と路上生活。
その後、祖父母や叔父たちの住む地域に身を寄せるも、当時の祖父母は自分たちの食べ物さえ得られない状況で、孫を育てる余裕などなかった。
路上生活中、どうしても盗みができなかったキムさんは弟が奪ってきたものを食べていて、(本来なら兄である自分が弟を養うべきなのに、頼りっきりで自分はお荷物だった)と回顧。
祖父母が「兄弟どちらか1人ならなんとか世話できる」と手をさしのべてくれたときも、弟は「僕は1人でも生きられるから、兄ちゃんが行きなよ」と言ったのだそう。
正月が過ぎたばかりの寒い日、キムさん兄弟は「春になれば、畑に行ける。なんとか兄弟2人分の食料も手に入れられるだろう」と考え、3月にまた会おうと約束し、駅前で別れます。
しかし、それが最後の会話になってしまい、(何が何でも一緒にいるべきだった)と後悔。弟と再び会う日は訪れなかったのです。
凍える冬の駅の下、身を寄せ合って夜を越した弟との日々。
精神的なストレスのせいか、弟は赤ん坊のようによくおねしょをしたのだとか。
夜に濡らしたズボンが凍ってしまうので、起きてから体温で溶かし、動き回ることで何とか乾かす。
キムさんはそれをどうすることもできず、ただ隣で見ているしかなく、その光景は今でも鮮明に思いだされる。
今でも彼のことを思わない日はただの1日もないといいいます。
「北朝鮮を出た瞬間から地獄と天国ぐらい違っていた」というキム・ヨセフ氏。
一度目の脱北を試みたのは真冬。土の表面が凍るほどの寒さだったが、緊張感の方が勝っていた。
先に脱北していた父の手配で国境付近の恵山(へサン)市へ。
ブローカーにお金を渡し、協力のもと脱北を目指すも裏切りに合い(密告され)、1度目は失敗。
ヒコロヒー「失敗したら大変なことになりますよね?」
キムさんは見つかって留置所に入れられ、人道を外れた地獄を味わうことに。
そこでは1日中あぐらをかかされ手は足の上に、首を回すのも隣の人を見るのもダメで動くと殴られる。
息をすることだけが許されていて、寒さで足が凍って眠れなかったとも。
決死の覚悟で2度目の脱北を決意したキムさん。
新たなブローカーを頼り、国境の川”豆満江”(トゥマンカン)へ。
ブローカーが癒着している国境警備隊に賄賂を渡せば、一定の時間 警備を外してもらえるのだとか。
ヒコロヒー「春先で川も冷たいですよね?」
極寒の雪解け水が流れる川を、その冷たさも感じないほどの緊張感の中、命からがら渡って中国へ!
その後 韓国へ渡り、2013年に日本へ。
そんなキムさんにとって、違和感でしかないのは・・・
『愛の不時着』・・北朝鮮に不時着した韓国人女性と北朝鮮の軍人のラブストーリー。
大韓民国のtvNで、2019年12月14日から2020年2月16日まで放送されたテレビドラマ『愛の不時着』
日本でも2020年2月23日から配信され(Netflix)、世界的なヒットをしたこのドラマですが、
キム氏曰く、「ドラマの影響うけて美化し過ぎ。もし北朝鮮に不時着したら、恋どころか即射殺」(怖い~~!!)
3月26日放送の「ヒコロヒーとニッチな苦労人」ではこのことをニッチなお悩みとして紹介。
笑い話のようになっていましたが、本当の北朝鮮のことを聞くと怖すぎますね・・。
そこでキムさんは北朝鮮の実情を伝えようと、2年前からYouTubuチャンネル「脱北者が語る北朝鮮」を配信し始めたそうです。
平和な日本ではおよそ考えられない北朝鮮の生活や脱北の話を聞いて、信じられない思いと、自分は恵まれているのに不平不満に思うことなども多く反省しなければならないと感じました。
もっと詳しく知りたい方はぜひ、キム・ヨセフさんのYouTubeをチェックしてみてくださいね。