オリックス・バファローズの若き左腕エース宮城大弥投手がWBCでも好投を見せてくれていますね!
幼い頃の極貧な家庭環境と、父との約束である基金設立を弱冠20歳にして成し遂げていて驚かされます。
地元の沖縄・興南高校に進み、1、2年夏の甲子園に出場、3年夏は沖縄決勝大会で敗れるも、9月のU-18W杯で日本代表入り。
1年目の2020年、ファームでウエスタン・リーグ最多の6勝を挙げて10月に一軍デビュー。
2年目の2021年は13勝(4敗)を挙げてリーグ優勝に貢献し、新人王に選ばれる。
座右の銘は、「一生百錬」
※一生百錬とは、何度も鍛錬を繰り返し、少しずつ強くなっていくさまを表した言葉
2019年のドラフト会議で披露された数々のエピソードには誰もが驚きましたよね。
学生時代の事故で手に障がいを抱え、就ける仕事が限られていたという父・亨さん。
宮城大弥さんは苦しい生活を強いられていた宮城家の長男として育ちます。
スポーツ用品店で1番安いグローブさえ手が出ず、父・亨さんが購入したのは700円のビニール製のものだったそう。
それでも大弥少年にとって初めて買ってもらったグローブは宝物で、毎晩抱いて眠るほど大事にしていたようですが・・・
使い始めは硬くて使いづらいだろうと、父の亨さんが考えたことは、
レンジでチンして柔らかくしようと思ったそうで!
結果、ビニール製のグローブは溶けてしまったのですね!!
今となっては笑い話ですが、当時の大弥少年は相当ショックだったことでしょう(泣)
小学生の頃の宮城大弥さん、かわいいですね。
4歳の頃より、なんと保育園に通いながら少年野球チームに入団し、野球を開始。
写真でも膝の部分につぎはぎが何枚かされているのがわかりますね。
しかしそんなことはどこ吹く風、小学校の時から「プロになりたい」と公言し、
どんな大雨の日にも自宅から5㎞の道のりを走ってグラウンドに向かっていたという大弥少年。
「プロに行くのは大弥みたいな奴なんだなと痛感している」、とは当時のチームメイトの弁。
具のないルーとご飯だけのカレーが1週間続いて、水道も止められてしまったこともあるとか・・
そんな境遇で育ったせいか、プロ野球選手になって貧困から抜け出し、家族に楽をさせたいという思いが人一倍強かったのでしょう。
その強い気持ちと大好きな野球への情熱が合わさって自身の人生を切り拓いていったのですね。
宮城投手は高3の夏、18歳以下の日本代表に選ばれ、錚々たる面々の中で防御率1・04の好成績を残しています。
あのダルビッシュ有投手が自身のSNSで絶賛するほどだったようですね!!
子どもが経済的な理由で野球選手(アスリート)になりたいという夢を断念することのないようサポートする団体を創ろうとプロ入り前から決めていた宮城大弥さん。
いろんな人の助けがあってプロ野球選手になれた。
プロになったら恩返しをしよう。
この思いが叶い、2022年に「宮城大弥基金」が発足。
「やはり感謝の気持ちは大事です。お世話になったからこそ今がある。それを忘れてはいけないと思います」とは代表理事である父・亨さんの言葉です。
宮城投手は、自身の契約金のうち約2000万円を出身超中学校や野球チーム、宜野湾市、那覇市、豊見城市などへ寄付。
沖縄の子どもの平均身長は低く、宮城投手も171センチと小柄であることから、自分が活躍したらプロをめざしてくれる子どもたちがいるはず、と発言。
どこまでも郷土愛がつよい宮城大弥さんの心の中にはふるさとの子どもたちのことがあったのですね。
2019年のドラフトから気になっていた沖縄出身の宮城大弥投手のことをまとめてみました。
目標とする選手は山本昌さんだそうです。
この熱い男、宮城投手の今後のご活躍もずっと注目していきたいと思います!!