『なにしてあそぼう』『できるかな』での一切喋らないキャラクター「ノッポさん」の愛称で親しまれた高見のっぽさんが亡くなられていたことがわかりました。
相棒のゴンタくんとともに愛されたノッポさんは、子どもたちのことを”小さい人たち”と呼び、敬意をもって接していたことが印象的でした。
京都市出身で4人兄弟の末っ子として生まれたノッポさんは、東京・向島育ち。
太平洋戦争が激しくなった小学校4年生の時に一家で岐阜県羽島郡笠松町に疎開。
岐阜県立加納高等学校に入学、終戦後の高校2年で東京に戻り、東京都立立川高等学校に転校し卒業。
俳優・芸人として活躍した父・嘉一さんのカバン持ちをしながら芸の修行を始めます。
32歳のとき、『なにしてあそぼう』、その後『できるかな』(1970年~1990年)に出演。
4年続いた番組の後に始まった『できるかな』には当初出演していなかったものの、視聴者からの要望で1年後に再び呼ばれてレギュラーに!
ひと言もしゃべらない「ノッポさん」として、相棒の着ぐるみの人形「ゴン太くん」との掛け合いで子どもたちから親しまれました。
高身長で飄々とした雰囲気を漂わせ、頭にはチューリップハットのノッポさんと、隣でいつもフガフガ言ってるゴンタくん。
意外なことに、ノッポさんは不器用でセロテープを使いこなすことができなかったため、スタッフには「セロテープのノッポさん」という合言葉があったそうです。
「あ~あ、喋っちゃた!」と、驚くほどの美声を披露した最終回では、新番組の出演者・わくわくさんとゴロリを紹介。
ノッポさんの話す声、若々しくてとても素敵ですね!!
ある時、のちに佐世保市の教育長となった方から講演を依頼されたとき、「あなたはどうしてそんなに子どもとうまくつき合えるのか」と尋ねられたノッポさん、
「私はお世辞を言わないし、話すときは丁寧に話している。名前を聞くときでも、失礼ですが、あなたのお名前はなんとおっしゃるんですか、と聞きます」
それはなぜかと考えたら、「傲慢な大人にはなりたくない」という思いがあるからだそう。
大人のずるさや傲慢さに何度も傷つけられてきたというノッポさん。
幼稚園の卒園式で卒園児代表として謝辞を述べる役を任されたときのこと。
お父さんが雇われていたお母さんの姉一家の家の子どもが同じ幼稚園で、伯母はノッポさんが代表に選ばれたことがおもしろくなかった。
そこで叔母は「謝辞を読むお稽古をつけてあげる」といってノッポさんを呼び出し、読み方に言いがかりをつけたあげく、「この子には大役は無理」と言って、勝手に役を返上したのだそう。
叔母は、妹の子であり従業員の子であるノッポさんが自分の娘より上にいるのが我慢ならなかったようで… 母の「姉さんたら!」の一言ですべてを悟ったのだとか。
6歳にして大人の傲慢さに気づいたノッポさんはあまりのバカバカしさにため息をついたそうです。
『できるかな』の終了後、『つくってあそぼ』に出演していた”わくわくさん”こと久保田雅人さん。
ノッポさんの後継者・わくわくさんとクマのゴロリが出演していた『つくってあそぼ』は2013年3月で終了し、現在は『ノージーのレッツ!ひらめき工房』という番組が放送中です。
そういえば相棒・ゴン太君の中の人は?と気になって調べてみると・・
その人は、日本人形劇人協会に所属していた井村淳さんというかたで、2013年11月21日に81歳で死去されていることがわかりました。
ノッポさんより年上の男性だったとはちょっと意外でしたね。
「周囲を騒がせたくない、死後半年以上伏せてほしい」という本人の希望から、訃報は翌年の2023年5月10日(本人の誕生日)に初公表されました。
長い間楽しませていただき、ありがとうございました。また来世でもお会いできることを祈りつつ… のっぽさん、さようなら。