メッケル憩室がんで闘病中だったシンガーソングライターのKANさんが11月12日、61歳の若さで旅立たれました。
音楽界のみならず親交のあった芸能人の方々から追悼の声が続々と上がるとともに、その葬儀の内容がPOPだったと話題です。
KAN
本名: 木村 和(きむら かん)
生年月日: 1962年9月24日
出生地: 福岡県 福岡市
配偶者: 早稲田桜子
学歴: 法政大学社会学部
活動期間: 1987年‐2023年
「和(かん)」という名前の由来は?
父親の木村 満氏が、「創作を行うことにより(世の中の人に)平和を与えるという行動を実践する」という考えのもと、第1子を「策(さく)」、第2子を「和」と名付けたそう。
父・満氏は子供を3人欲していて、第3子に「践」と名付けるつもりでいたものの結果的には兄弟は2人止まり。
しかし、なぜ「和」を「かん」と読ませたのかはKANさん本人も知らされておらず、父親は1990年に逝去したため、真相は謎のままとなったとか。
KANさん自身は、本来は本名でのデビューを希望していたそうですが、「和」を「かん」と読ませることは稀であるため間違えられやすいと懸念されたよう。
また読み方に関する質問にその都度答えることが面倒だと思ったために大文字でローマ字読みの芸名にされたそうです。
小腸にまれにできるメッケル憩室と呼ばれる突起物にできるがん。がんの中でも極めて症例が少ないとされている。
メッケル憩室は、腸の壁の一部が 焼きもちが膨れるように外に飛び出て、袋状の突起物になったもの。メッケル憩室自体の発生率が人口の2%前後との報告があるなど希少で、そこにがんができる割合は、そのうちのさらに1%とされる。日本国内での報告例は数十例程度とみられる。
引用:sankei.com
基本的には無症状のため、気付かないうちに進行している場合も少なくない。ただ、がんが広がると腸をふさぐため腸閉塞が起こり、腹痛や出血があるといいます。
昨年秋に発症した腹痛が数週間継続したので病院に行き、検査を繰り返すうちにだんだん深刻な雰囲気になり、大きな病院に移って、更に多様な検査の後、組織摘出手術を行い、病理検査の結果、『メッケル憩室がん』と診断されました
3月に罹患を公表した際、このように説明されていました。
ギャグやダジャレが好きで遊び心にたけていたKANさんは、上の夏目漱石の自画像を模した写真を遺影に選んでいたそう。
KANさん、クオリティー高いですよね。この写真が祭壇に飾られていたら、葬儀の場なのに思わず笑ってしまいそうです。
そして、返礼品がPOPとかけて?ポップコーンだったそうで…
ファンの声は?
など、その人柄を偲ぶコメントが。
お客様をお迎えする入口には、「還暦の記念に撮った振袖の写真」(え!?)を等身大のパネルにして置きたかったそうですが間に合わず…
KANさんの希望で棺のそばに3枚の晴れ着が飾られていたそうです。
振袖姿のKANさん。 想像してみるとまた笑ってしまいそうです。
佐藤竹善さんはそのお姿を目撃していたようですね…^^;
それ見たい‼と思って探してみたところ、ツアーに行って写真をご覧になったファンの方が記憶を頼りに描かれた似顔絵がnoteにアップされていました。(拝借したのが上の画像)
振袖姿の写真はあんな感じだったのですね…
「SNSでは写真は公開しない、もう少し年老いたらチューブトップの水着の写真集を撮りたい」などとおっしゃっていたとか (笑)
KANさんの死を惜しむ声が次々に寄せられています。
「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」で共演したこともある山田邦子さんは自身のブログで「ええっ!!嘘でしょ?KANちゃんが?ごめんなさい、何も知らなかった。ショック!!」と驚きを隠せない様子。
KANちゃんは最後まで音楽家でしたね。番組では曲を作ってくれ、ピアノ演奏で盛り上げてくれた。舞台裏では、歌手として素人だった私たちに、熱心に歌唱レッスンをしてくれていたんです
「愛は勝つ」が大ヒットして、歌手と思われているでしょうが、ピュアなピアニストなんです。番組では、そんな恥ずかしがり屋の音楽家にコントまでやらせてしまって。いつも笑顔で受けてくれていたけど、今、思えば申し訳なかったな
取材では上のようにコメント。
亡くなられる9日前の投稿です…
最後のときを思い、自分らしい演出を準備されていたKANさん。なかなかできることではないですよね。
来世でもまた人々を元気づける楽曲を作ってくれることでしょう。KANさん、どうぞ安らかに。
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愛は勝つはよくカラオケで歌っていました。ご冥福をお祈りします。
ムソムソさん、コメントありがとうございます。
KANさんの楽曲はたくさん素晴らしいものがありますが、愛は勝つは永遠の名曲ですね^^