2月12日23時~放送の『関ジャム 完全燃SHOW』は、世界に誇る音楽レジェンド・坂本龍一さんの特集でした!
教授をリスペクトする3人の方々の質問をすべてまとめてみました。
闘病中も映像配信
70年代後半から数々の名曲を残し続ける音楽界のレジェンド、坂本龍一さんは、2021年 がんの手術を受けたことを公表。ステージ4であることを明かしています。
闘病生活を続けながら、昨年12月ピアノソロコンサート「Ryuichi Sakamoto:Playing the Piano 2022」を31の国と地域に向け世界に配信。
体力を考慮し、事前に収録したコンサート形式の演奏映像は大きな話題を呼びました。
ピアノは3歳から始めて、10歳の時にはすでに作曲していたそうです。(画像は別番組のものです)
坂本龍一が質問に答える!
音楽のプロ3人からの質問に坂本龍一本人が回答します!
清塚信也からの質問
それとも、そもそもご自身の音楽性がそうなのでしょうか?
坂本龍一の回答
自分ではわかりません。
「ポップであること」はものすごく難しくて。
僕も90年代は「ポップ」であろうと
目指してみたことがあって、
色々やったんですが、
成果は全くなかったですね。
「ポップ」であろうとした作品も、
そんなことは全く考えずに作ったものと
ビジネス的にも全く変わらなかった。
無意味でした。
自分のキャリアの中で最高に売れた
「energy flow」という曲がありますけど、
ポップであろうなんて
1ミリも考えたことがなかったのに、
売れちゃって びっくりしました。
ポップを定義することは本当に難しいこと
です。
ただ、自分の作品の中で一つのヒントになるのは
「Behind The Mask」かと思っています。
あれも、元々はポップなことなど
1ミリも考えずに作った自分の曲で、
YMOで取り上げたわけですが
それをマイケル・ジャクソンがカバーしたり、
(事情があって「スリラー」には入りませんでしたけれど)
その後はエリック・クラプトンがカバーしたり。
あの曲には、フレーズとコードが合わさった
4小節の繰り返しの中で、
人をグルーヴさせるもの、
ロックさせるもの(揺さぶるもの)が
何がしかあるんだろうと思うんです。
それでいろんな人に取り上げられるのだと思う。
そこに何かヒントがあるのかなと思います。
「流行を探すべきか?」それとも「本質を捉えるべきか?」
僕はそう思って始めたのではない。
どちらが良い悪いということもありません。
そうしたければすれば良い。
それで結果的に良い音楽が出来るかもしれませんしね。
昔のバッハやモーツァルトだって
聴く人の評判を気にして作っていたわけです。
(そうではない曲もありますが)
昔の人も聴衆のことを考えて
作っていたわけですね。
でも、僕はそれだけではダメだと思います。
ですから、自分が作りたい音楽があるのなら、
どう聴かれるかなどは考えずに作ればいいと
思います。
映画音楽について
ちゃんMARIからの質問
坂本龍一の回答
自分の音楽は自分の為 というか
自分が作りたいものを作っているだけです。
映画は完全に人の為です。
監督の為であり、製作者の為であり
聴衆の為であり、映画会社の為です。
ですから、全くスタンスは違います。
とは言え、一度 作り始めると、
音楽家としての自我が出てきてしまうので
結果的に作ったものが
自分自身の為の音楽と似たようなものが
出来てしまうことはあります。
それが監督が必要としているものと合わない
ということはよくあります。
ましてや映画音楽の場合
雇われている身ですから、
監督や映画会社の意向に従うしかない。
とは言え、作った音楽は、
オリジナルの場合も映画の為のものの場合も、
どちらも自分の音楽ではあります。
江碕文武からの質問
坂本龍一の回答
ちょっと多すぎて語るのが難しいけれど・・・
まずは人ですね。
NYは今はちょっと金融の街のように
なってしまったけれど、
昔はクリエイターの街だったんですよね。
世界中のミュージシャンと出会えて、
一緒にモノを作ったりできるということが
一番大きいんじゃないかなぁ。
音楽だけではなく、アート、演劇、
パフォーマンス、映画など
あらゆるジャンルから刺激を得ることは
多くあります。
また、ひと口にアメリカ人と言っても
移民の国ですから
イタリア系だったり、アイルランド系だったり
ドイツ系だったりするので・・・
そのような
多様なバックグラウンドに接することが
楽しいし刺激を受けますし、
自分の知見が広がります。
この音楽
(「戦場のメリークリスマス」のサントラ)は
そういうものにしようと、
自分で設定して生み出したものです。
何人でもない
コスモポリタン(国籍に左右されない人)
でありたいというのは10代の頃から
ずっと思っていたことです。
地球のどこでも暮らしていける人間になりたい
とずっと思っていました。
清塚信也からの質問
坂本龍一の回答
日本のマーケットだけを考えているような
感じがするんですが、
それはダメだと思います。
もっと広い聴衆をイメージし
世界というマーケットでやっていかないと。
そう考えると、当然、作る物も 歌詞なんかも
少しずつ変わっていくんじゃないかな。
「世界マーケット」というものを考えて
活動してほしいです。
韓国やアジア圏の
ミュージシャンやアーティストは
最初から世界をマーケットにして外に
開いているなぁと思うことが多々あります。
坂本龍一×テクノロジー
江碕文武からの質問
坂本龍一の回答
人工知能は基本的には過去のデータの集積と
それに加えて「ゼロ・イチ」の
つまり「正解・不正解」という論理で
出来ていると思うのですが、
(間違っているかもしれません、あまり興味が
ないので良く知らないのです・・・)
音楽には「正解・不正解」はありませんよね。
しかし、それなら何でも良いかと言うと
そうではなく、
その中で「これが良い」という、
ある一人の音楽家/ミュージシャンが
自分の中で正解と思うものを導き出してゆく
そういうものだと思います。
僕はそこに論理はないと思います。
でも、何の為にそうするのか、
あるいは、何に美を感じるかというのは
同じ構造の脳を持つ人間でも1人1人違いますから、
AIがその領域に近づくのは
当分は不可能だと僕は思っています。
そんな事にAIを使うより
気候変動をどうするかとか、
貧困や格差をどうするか、
そういう事にAIを使って欲しい。
坂本龍一×ピアノ
清塚信也からの質問
坂本龍一の回答
生まれてから一度も無いです。
自分のことをピアニストだと
思ったこともないし、
ピアニストになろうと思ったこともありません。
ピアノの技術は、
大学受験をした18歳の頃が1番ピークで、
その後は練習をしないので
演奏技術はどんどん落ちて、
最近はもう加齢も加わって人様にお聴かせする
ギリギリと言う感じです。
ピアニストは人の曲を弾きますよね、
しかも大昔に造られた曲なども。
それはつまらないなと思います。
僕は、ただ自分の音楽を表す
1番やりやすい方法として
ピアノを弾いているだけです。
・
・
・
他人の曲や昔の曲を弾くだけではつまらない・・・。これはピアニストに対して少し辛辣な回答では?と清塚さんのコメントが気になりましたが・・
しかし清塚さんは、
「実は私めちゃめちゃ賛同できます!
例えばショパンがいかにいいか(ピアノを弾きながら)素敵な曲を作ったんだよって
やればやるほどショパンの株が上がるんです‼(一同、笑)
なんでショパンがすごいって俺が言わなきゃいけないの?」
と仰ってました。さすがです。
坂本龍一×日常
清塚信也からの質問
坂本龍一の回答
決まった法則はないので分からないです。
何かのきっかけで湧いてくるのを待つだけです。
待つというのは、積極的に待つわけです。
様々なことに関心をもって、勉強しながら
待つという感じです。
何か良いことを思いついたら
すぐに録音するとか、
五線紙に書くなどしておかないと
すぐに忘れてしまいます。
ですから、何となく鍵盤に触れる場合でも
録音したり、
MIDIで記録(演奏データを保存)したり、
髪に書いておいたりした方が良いですね。
なぜなら、思いつきはいつやって来るのか
分からないからです。
例えば 寝ていても思いつくこともあります。
そんな時は仕方がないので自分を起こして
最近ならスマホに録音したり、紙に書いたり。
昔は運転中に思いついて、自宅の留守電に
録音したりしたこともあります。
とにかく、いつ何時「来る」か分かりません
ので、
それを逃さないようにはしています。
坂本龍一の回答
気分転換は、いろいろです。
おせんべいを食べたり。
かりんとうやチョコレートを食べたり。
雨が降っていたら雨の音を聞いたり。
雲の流れを見たり。庭の木を眺めたり。
音楽以外のことです。
なまじ人の音楽などが耳に入ってしまうと
影響されてしまうので、
音楽を気分転換に使うことはありません。
希に音楽を気分転換に使う場合は、
全く音がしない
「び~~~~~~ん」というような、
音楽とも言えないような音を聴くとか。
まあ、それは一種の瞑想のようなものですけど。
とは言え、やはり自然の音の方が良いですね。
その方が気分転換になる。
(清塚信也コメント:自然界の音やノイズに近いようなものを混ぜて音楽にしていて、人にとってノイジーな音というのは何か、美しい音とは何かを問うている気がする。)
坂本龍一の回答
あります。ものすごくあります。
自分で音楽を作っていて言うのは変なんですが、
人間が作った音というのはあまりよくないものが多いですね。
自然が作った音にそういうもの(良くない音)はあまりないです。
一番良くない音は、
日本中の商店街や街で
毎日決まったような時間に鳴るような
チャイムのような音があるでしょ?
あれは最低ですね。
あれを日本中の人が毎日聴いているかと思うと悲しいです。
昔 アフリカ(サバンナ)に行った時に
アフリカってうるさいところだと
思っていたのですけど、
行ってみたらとても静かで・・・。
遠くで水浴びしているカバの音が聞こえてきたり・・・。
自然の音の中で一番 大きかった音は
カブトムシみたいな甲虫が自分めがけて
飛んできた時の音。
その静かな空間に突然バリバリバリバリという
音が入ってくる。
セスナだったり四駆のような車だったり。
それは人間が作った物の音でした。
呆れました。
もっと、デザインや技術など、
人の叡智で自然の静けさを壊さない音の物を
作ることが出来るはずですけれど、
エンジニアや設計者は自然の音との対比を
考えていないと思う。
それは悲しい気づきでしたね。
坂本龍一への質問(最後)
坂本龍一の回答
何を充実と思うかにもよりますが・・・
たくさん活動した、
あるいは曲をたくさん書いたという意味では、
やはり20代後半から30代が
活動量が多かったかなと思います。
作業的に苦しいのは映画音楽をやっている時
です。
それは苦しいです。
映画「レヴェナント:蘇えりし者」の音楽には
苦労し、挫折感を味わいました。
「レヴェナント:蘇えりし者」
実話を元に、過酷な冬の大地での生き残り
仲間の裏切りを生々しく壮大に描いた冒険物語。
主演・レオナルド・ディカプリオ
音楽・坂本龍一
(2014年)最初のガンになって
治りかけの頃に作業が始まって、体力もなく、
頭も治療の影響でボケていたと思うんですが、
「自分ならこれが出来る」ということが
なかなか出来なくて。
どんどん作業が遅れていって、
やらなくてはいけないことが溜まっていって、
手に負えなくなってしまった。
これは初めての、とても苦しく辛い経験でした。
強い挫折を感じました。
自分の実力を100%発揮することが出来なかった。
今も悔しいです。
それは悔しい、苦しい体験でした。
アルバム「12」に込めた思いは?
闘病生活の中で製作した最新アルバム「12」に込めた思いとは・・・
坂本龍一の回答
思いは込めてないです。
1曲、1曲には何か、その時の感情や何かが
入っていると思うのですが、
ほぼ100%自分の為というか・・・。
病気で入退院を繰り返している合間に
作っていた曲なのですが、
本当に体力が落ちている時は音楽を聞くことも
出来ない状態だったのだけど、
少し体力が回復した時に、何か音を浴びたい
という気持ちになり、
近くにあったシンセに手を触れました。
何も考えず、シンセの音に浸るというか、
自分を回復させるために、
まるで森林浴のように。
そこから始まっているので
「思い」というのではなく、
その時の心と体の状態がそのまま出ている、
そういうものだと思います。
元々、あまり思いを込めて音楽を
作ったことはないんです。
もちろん、たまにはあります。
地雷撤去のために作った曲、
ウクライナのために作った曲、
福島のために作った曲、
9.11以降のテロのことを思って作った曲など、
特別なものもありますが、
そうではない曲は多いです。
例えば、一般の方が日記を書く時に
今日 何をした、誰と会った、何時に寝た
何を食べたという記録を残しますね。
日記というのは いわゆる「日々の記録」
だと思います。
そのような感じで、僕の場合は
音で日記を書いているだけなんです。
音による日々の記録。
だから、思いというのは「音」なんです。
皆さんが文字で日記を書くように、
僕の場合は音で日記を書いたというだけ
なんです。
そのことはなかなか理解されにくいのかも
しれませんが。
さいごに
今回の関ジャムが神回に思えて、すごく長いですがまとめておきたくなりました。
教授にはどうかお体に無理のない範囲で音楽活動を続けていってほしいですね…。
坂本龍一さん、ありがとうございました。
ご冥福をお祈り申し上げます。(4月3日追記)
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