森進一の波乱の人生を画像とともに… 紅白トリで珍事件や現在は顔面崩壊?

芸能人

ここ数年、顔が不自然だと話題の演歌歌手、森進一さんは、いったいいつ頃からあのような突っ張った顔面になってしまったのでしょうか?

大御所である森さんの若い頃からを振り返ってみると、顔面崩壊などと言われることに加え2度の結婚に紅白での事件、有名人の息子たち、と色とりどりな人生模様が興味深いです。

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森 進一 プロフィール

本名: 森内 一寛(もりうち かずひろ)
生年月日: 1947年11月18日
出生地: 山梨県甲府市
出身地: 鹿児島県鹿児島市
身長/体重: 167㎝/49㎏
出身校: 鹿児島市立長田中学校
事務所: 森音楽事務所

イケメンでも若い頃は苦労人

中学校卒業と同時に集団就職で大阪に出て移住。

最初は寿司店に勤めるも1か月で退職。家族に仕送りするために少しでもいい賃金を求めて17回も職を替える。

1965年のフジテレビ系の素人参加歌番組「リズム歌合戦」に出場して優勝し芸能界入り。

最初はポップス系でデビューする予定だったが個性が弱いとして、売れるためには声を潰し、演歌を歌うしかないと説得される。

1966年(昭和41年)、猪俣公章作曲、吉川静夫作詞による「女のためいき」でデビュー。

「恍惚のブルース」でほぼ同時期にデビューした青江三奈と共にため息路線として売り出される。

美声主流だった当時の歌謡界において、かすれ声で女心を歌う森氏のデビューは衝撃的で、世間からは「ゲテモノ」「一発屋」と酷評されたが、

その後も「命かれても」「盛り場ブルース」と立て続けにヒットを重ね、ついにはデビュー3年目の1968年、ヒット曲「花と蝶」で第19回NHK紅白歌合戦に初出場を果たす。

紅白には順調に回を重ねて出場するも、忙しさのあまり珍事件が・・・

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森 進一 「紅白珍事件」とは?

森進一は紅白歌合戦のトリの時にズボンのチャック全開で歌ったことがある」というトリビアにもなった事件について、ご本人がインタビューに答えています。

 なぜズボンのチャックが全開に?

その年はレコード大賞を頂きまして、本当に興奮状態のまま、そして衣装替えを色々しまして慌ただしい中で本当に自分自身の精神状態の乱れからだったんじゃないかなと思います。

 何がきっかけで気づいた?

気づいたのは、さすがに僕も緊張して歌ってたんですが、後ろでなんかどよめきのような、何か応援とは違うざわめきのような声が聞こえたのでちょっと下を見たらワイシャツが出てまして、慌てて後ろを向いて皆さんに「ありがとう」という雰囲気でファスナーを上げました。

チャック全開でも森進一の歌の素晴らしさは変わらない(トリビア・ナレーション)

ぜひ皆さんもお気を付けになって

森さんの言葉のチョイスに人の良さが伝わってきますが、ちなみにこのとき(昭和49年大晦日)の紅白視聴率は74.8%だったそうです…。

1980年 大原麗子と結婚

2009年8月3日に亡くなられている女優・大原麗子さんと1980年に結婚。

かつて2人は同じ事務所(ナベプロ)の同期で、デビュー当時から交流があったそう。

結婚当時33歳ぐらいの森さん、男性としては1番脂ののったいい時期ではないでしょうか… 白黒でもお顔に艶があるのがわかります。

大原さんは渡瀬恒彦さんに続く2度目の結婚ですが、4年目でまたもや破局。その理由を、「家庭に男が2人いた」(森さんは否定したそう)と語ったことは話題になりました。

原因は、1984年に森さんが1か月のアメリカツアー公演を行っている間、大原さんは内緒で前々から行きたがっていたヨーロッパに出かけてしまい、その間に2人で飼っていた柴犬が逃げてしまったことだとか。

これがきっかけで内緒でヨーロッパに出かけていたことがバレたこともあり、森さんが帰国してからすぐに離婚の話に。

森さんがほかにも色々と積もり積もって愛想が尽きたのでは?といわれていますが… 夫婦のことはその2人にしかわからないものですよね。

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1986年 森 昌子と再婚

お肌つやつや!とても幸せそうなお二人

1985年、森進一さんが社会福祉活動のために設立した「じゃがいもの会」に昌子さんが参加したことがきっかけで交際がスタート。

1986年10月1日に再婚され、のちに有名人となる2人を含む3児に恵まれます。

長男ワンオクのTakaさんは幼い頃からイケメンだし、3男マイファスのHiroさんはなんだかよくわかってない様子がとてもかわいらしく、次男さんはちょっとお顔の系統が違ってやんちゃな感じがします。

いまや次男の智寛さんもテレビ東京の社員となられ、3人とも顔が知れた有名人ですね。

息子3人中、2人が両親と同じく歌手になるとは、まさに血は争えないということでしょう。

2005年、ふたたび離婚へ

2001年から再び夫・進一さんのコンサートに呼ばれステージで歌うようになった昌子さん。

家庭と仕事の両立が厳しく、2005年2月に過労による過呼吸で倒れ、集中治療室で手当てを受ける状態であったにもかかわらず進一さんの意向?で2日後に退院することに。

医師から、最低でもあと数日は入院が必要と言われたのに家へ連れ帰った理由は、友人とハワイ旅行でゴルフの予定があったために世間の体裁を気にしてのことだったとか!?

信じがたいですが、これが本当ならば昌子さんが夫・進一さんに対する信頼を失ったとしても不思議ではありません。

その後、進一さんのC型肝炎が悪化した際に看病することを拒否した?昌子さん… お互いに夫婦関係の修復は無理だと考えたのか、2005年4月に離婚。

自身の病気や、19年連れ添った妻との離婚問題により、森進一さんは精神的にかなりつらい時期だったと思われます。

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2006年末「おふくろさん騒動」

2006年の紅白において、オリジナルにはないセリフを無許可で加えて歌った森進一さんに作詞者の故・川内康範さんが激怒し、「もう森には歌ってほしくない」と二人の間に確執が。

最大のヒット曲を封印し何度も川内氏の自宅へお詫びに向かうも、受け入れてもらえないまま川内氏は2008年4月6日に逝去。

その後2008年11月、森さんと川内氏の遺族が話し合いをし和解。1年9か月に及んだ騒動に終止符が。

離婚に続きまたもや大きな心労はストレスとなり、お顔の劣化にも多少の影響があったかもしれませんね。

顔の変化は整形なのか?

2013年、歌番組を見ていた視聴者から「顔が怖い」という声が。

思い浮かんだのは「八つ墓村」のスケキヨでした・・・ 怖いよぉ~!!

2016年、さらに怖さに磨きがかかり… このメイクを施したかたの見解やいかに!?

2015年6月30日、「徹子の部屋」にご出演。目尻の下からこめかみにかけての段々が目につきますが、もしやヒアルロン酸注射のせいでしょうか?

顔にヒアルロン酸を注入する場合、膨らみすぎや凹凸、チンダル現象が起こるリスクがあるそうです。

チンダル現象とは、注入されたヒアルロン酸が皮膚の表面に近い位置に存在すると、周囲の組織との境界において光が散乱され、青白い光の効果が現れる現象のこと。このチンダル現象が起こると、皮膚の透明感が損なわれ、青白い影がみられることがあります。

これらは正しい位置にヒアルロン酸を注入していない、注入量が多すぎるなどが原因なのだそう。
(森さんがそうなのかは定かではありませんが…)

2020年11月21日放送「まつもtoなかい」で3男のマイファス・ヒロさんと親子初共演… おでこには一本のシワもなし‼

しかし、よく見ればシワシワ感がすごいですね。

こちら2021年の森さん。晴れやかな笑顔ですが、またお肌に不自然な若さが… ヒアルロン酸はどのくらい注入されたのでしょうか??

2021年5月31日放送「ファミリーヒストリー」ご出演。なんかCG画像みたい!?

2023年。再びほうれい線が目立ちはじめたのか、目も埋もれて小さくなってきたようです。

ファンの方々は森さんに美を求めてはいないと思いますが、ご本人はけっこう気にされるタイプのかただったのですね(もともとが端正なお顔立ちのイケメンですからね)。

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あとがき

顔が変わったといわれていることが気になり、森進一さんについて振り返ってみるとかなりの波乱万丈な人生を送ってこられたことがわかりました。

視聴者から怖いなどと言われだしたのは2013年、森さん65歳のころだったようですね。

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