シンガーソングライターの谷村新司さんが8日に亡くなっていたことが公式サイトで伝えられました。74歳だったそうです。
谷村新司さんは手術後に療養中だった
「冬の稲妻」や「チャンピオン」「昴」などのヒット曲で知られる歌手の谷村新司さんが10月8日に亡くなったことを所属事務所が発表しました。
今年の3月に腸炎での手術を行い 療養を続けておりました 谷村新司ですが
10月8日に息を引き取り 永眠いたしました
本人も回復に向けて頑張っておりましたので 本当に残念に思います
葬儀は近親者のみにて10月15日に執り行い
とても穏やかな顔で旅立ちました事をご報告申し上げます
急性腸炎で手術をうけて療養中だったのですね。
谷村新司さんは1948年12月11日生まれ。大阪府河内長野市生まれの大阪市東住吉区育ち。3人兄姉の次男で、愛称はチンペイ。
小林旭が「渡り鳥シリーズ」でギターを弾く姿を見て「自分もモテたい」とギターを練習し、バンド活動を開始。
1971年に堀内孝雄さんと「アリス」を結成し、翌72年、「走っておいで恋人よ」でレコードデビュー。同年5月、矢沢透さんを加えて活動。
当初は不遇の時期を過ごしたそうですが、「セイ!ヤング」のDJで人気者になっていき、「冬の稲妻」「チャンピオン」がヒット。
さらにソロでも活躍し、山口百恵さんに楽曲提供した「いい日旅立ち」も歌い継がれる名曲となり、自身が歌った「昴」も日本国内のみならず、中国、アジアで愛されます。
アリスは1981年に活動を停止しましたが、09年に再始動。
今年4月、アリスの全国ツアーの来年への延期、6月には公式サイトで年内治療に専念することが発表されていました。
8月の日本テレビ「24時間テレビ」で出演者が『サライ』を歌唱する場面では、病床からのメッセージが紹介されています。
戒名に「昴」の文字
谷村新司さんの戒名は、
「天昴院音薫法楽日新居士」
(てんぼういんおんくんほうらくにっしんこじ)
と名付けられたそうです。
まさしく 天にある星となって私たちを照らし続けてくれる事だろうと思います
事務所コメントより
歌と音楽にピリオドはなく 皆さまの心にいつまでも残ることを願って
心よりの感謝を深く申し上げたいと存じます
これまで沢山の「愛」をいただき 本当に有難うございました
「アリス」メンバーの追悼文
長年にわたって苦楽を共にしてきたアリスのメンバーの追悼文をご紹介します。
堀内を紹介され3人アリスとして歩み始めました
時にはいがみ合い、時には抱き合い
幾多の苦難も共有し、無我夢中で駆け抜けた
そして気が付けば51年という長きに渡って谷村と関わるとは…
あの日から想像もしませんでした。
若さの灰汁も抜け「これからは本当に音楽を楽しんでやっていこうね」
と新しいアリスの始まりに胸躍らせていた矢先のことでした。
谷村なら大丈夫、谷村ならきっと戻ってくる、
根拠のない確信めいたものを感じておりました。
でも谷村は戻ってきませんでした!
もういないんです。悲しいというより悔しいんです。
谷村はもう僕たちのみんなの心の中にしか住む場所がないんです。
思い出せば必ず胸にやってきます、どうか谷村を忘れないで下さい。
今まで谷村をアリスを応援してくださってありがとうございました。
矢沢 透
突然の別れに驚きを隠せません。
来年のツアーに向けて回復に向かっていると伺っていただけに、とても残念です。
僕にとってのチンペイさんは、50年来の親友であり、「アリス」のリーダーであり、
そして良きライバルでした。
学生時代に、「プロにならないか?一緒にアリスをやろう」と、誘ってくれたとき、
心の底から嬉しかった。
チンペイさんが、あの時誘ってくれなかったら、今の僕はありません。
ずっと一緒に音楽活動ができたことが幸せでした。
また、いつか空のほとりで一緒にライブをやろうね。
もうちょっと待っていてね、キンちゃんと、もう少しだけ頑張るね。
心から、ありがとう。
安らかに。ご冥福をお祈り申し上げます。
堀内孝雄
昔デュエットした小川知子の現在は?
かつて谷村新司さんと「忘れていいのー愛の幕切れー」をデュエットした小川知子さんは・・
大ヒットした男女の別れを歌った切ない楽曲の誕生裏話を8年前にテレビで明かされています。
「あれは二人で勝手に決めたこと。演出じゃないのよ」、と。
別れたくない女性を表現したいと思って胸元が大きく開いたドレスを衣装に選んだら、「(胸に)手を入れたくなっちゃう衣装だね」と谷村さんに言われ、つい「いいわよ」と返答。
そこからあのパフォーマンスへとつながっていき、大反響を集めましたが、小川さんの元には苦情が殺到したそうです。(谷村さんじゃなくて!?)
当時ドラマで共演していた松田優作さんからは、「あんな野郎と…けしからん」「相手を選べ」などとものすごく怒られてしまったということです。
そんな小川知子さんは、1949年1月26日生まれで2023年現在74歳です。
検索ワードに「死因」などと出てきますが、現在はもちろんご健在で、インスタをのぞいてみると今も信じられないぐらいおキレイでした!!
同世代なのでショックです。
新ちゃんと知り合ったのは、彼が作った「忘れていいの」という歌のデュエットをした時です。
私に直接交渉のため、
一人で我が家の近くのロイヤルホストまで赴いてくれました。その場で歌入りのテープを聞かせてくれ、「どうしても一緒に歌って欲しい」と、あの優しい笑顔で語りかけてくれた姿が懐かしく思い出されます。
歌手ではなく、女優として歌って欲しいと録音前に言われました。
スタジオで向かい合いながら、ドラマのように歌い、本番一回のみのレコーディングで終了しました。
その後は家族付き合いをする仲でした。
ゴルフにテニス、ホームパーティーとよく一緒に遊んだものです。
いつも穏やかでニコニコして、優しくサポートをしてくれました。普段はあまり饒舌ではなかった新ちゃん。
「歌の伝道師」と自らも言っていましたが、名曲の数々は多くの人の心に感動と安らぎを与えたと思います。
お疲れ様でした。
一緒に歌えたこと
感謝しています。
ありがとう。
秋の訪れと共に静かに幕を降ろしたのですね。
心からご冥福をお祈りします。
小川知子さんの追悼の言葉です。
芸能界から哀悼の声
加山雄三さん、ご健在です
加山雄三さん、検索ワードに「生きてる」と出てきます… その通りです!
谷村君が亡くなったこと、先ほど知りました。
ショックと悲しみで正直混乱しています。ちんぺいとは「サライ」をはじめたくさんの思い出があります。
ヤンチャーズ楽しかったよな。たくさんの場所で一緒に歌ったよな!
陶芸に誘ってくれた兄弟子でもあるし、いつもちんぺいには
「加山さん勝負じゃないんだから!」
て言われてたっけ。ほんとの兄弟のように慕ってくれて一緒にいる時は本当にいつも楽しかったよ。
その兄想いの弟が先に逝ってしまった。
今、気持ちをまとめてくれと言われても、彼に伝えたいことはたくさんあって、
言い切れないよ。
一言だけ彼に伝えるなら、やっぱり
「ありがとう」
この感謝の言葉しか見当たりません。
永遠の「サライ」を谷村くんと共に…加山雄三
引用:加山雄三オフィシャルサイトKAYAMA YUZO
谷村新司さんへ…アリスのメンバー追悼全文。かつてデュエットの小川知子は?
素晴らしい楽曲の数々を残してくださった谷村新司さん、ありがとうございます。ご冥福をお祈り申し上げます。
コメント
チンペイというあだ名が有名ですが、ラジオ番組をやっていたときは「くずパン(くずれパンダ)」と呼ばれていましたね。パンダを崩したような顔という意味でしょうか。R.I.P.
ムソムソさーん!貴重な情報ありがとうございます‼